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南京大虐殺

南京大虐殺:親族ら失った蘇さん「伝えたい」 下京で集会、体験談聴き入る /京都

 ◇悲惨な歴史繰り返さぬよう、悲劇を心に刻み込み戒めに

 南京大虐殺で親族らを失った蘇国宝さん(79)が証言する集会「届けたいけど届かない南京からの声」が8日、下京区のひと・まち交流館京都であった。蘇さんが涙をぬぐいながら語る悲惨な体験談に、約40人の聴衆は聴き入っていた。【細谷拓海】

 今夏、訪中した「銘心会南京友好訪中団」の参加者のうち、関西の学生5人が「南京60カ年学生実行委員会」を結成。訪中で理解を深めた虐殺の実態を「体験者がいなくなる前に伝えなければ」と集会を企画した。

 南京大虐殺は1937年12月以降、南京城周辺で行われたとされている。当時10歳の蘇さんが暮らしていた南京郊外の湖山村にもやってきた日本兵は何人もの村民を殺し、多くの家を焼いたという。3歳だった蘇さんの弟は水死させられ、それに怒った伯父は目の前で首を切られた。「祖父、伯父、弟……。10人の身内を殺されました」。涙を流しながら、声を振り絞った。

 「中国の若者だけでなく日本人にも、過去にどんなひどい出来事があったのか知ってもらいたい」と語った蘇さん。「悲惨な歴史が二度と繰り返されぬよう、悲劇を心に刻み込むことで戒めとしていかなければ」と締めくくった。

 上京区の女子大学生(23)は「歴史の教科書では短くまとめられていて、具体的な出来事までは知らなかった。『大虐殺はうそ』という意見もあるが、そういう話が起こることで蘇さんのような被害者をさらに傷つけることになる」と顔を曇らせた。

毎日新聞 2006年12月10日

MSN毎日インタラクティブ

「”大”虐殺がうそ」という意見があるだけでしょ。

つまり、普通の戦争程度の殺し合いは否定しているわけではない。

中国側が10万人だ100万人だとどんどん犠牲者の数が不自然に増えるからおかしいといっているだけ。

どの戦争にだって犠牲者はいる。その人たちの受けた不幸は否定してはならない。

それと「”大”虐殺がうそ」は別問題。

大学生にもなってもうちょっとは勉強しろ。



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コメント

>中国側が10万人だ100万人だとどんどん犠牲者の数が不自然に増えるからおかしいといっているだけ。

戦後すぐに行なわれた南京軍事法廷で「犠牲者30万人」説はすでにうちだされています。「100万人」説が中国政府なり中国の有力な研究者から主張されたというはなしはきいたことがありません。
もっとも、大規模な災害や虐殺の場合、調べが進むうちに新たに犠牲者が発見されるというのはごく普通にあることなので、増えたからといって直ちに「不自然」とはいえないと思いますが。

ちなみに、捕虜の殺害については日本軍の公式文書にも(殺害数とともに)記載されています。民間人の殺害や強姦が多発していたことを日本軍首脳が認識していた、ということを示す当時の公式文書も存在していますよ。

実際の犠牲者の数の検証は私は門外漢なので、言及しませんが、私が問題だと思っていることは
1.議論の余地のある"大"虐殺があった前提で話が進んでいること。
2."大"虐殺があったとしても、それが日本軍の行いであった確証がない。
3.「被害者の感情を逆なでする」ので、"大"虐殺があったかどうかの歴史的検証をしない、というのはおかしい。
点です。
3のような考えを持つのならば、拉致はなかったと言った北朝鮮を正当化するのとおなじことになります。

南京事件は日本政府も「否定できない事実」としており、家永教科書訴訟などを通じて司法の場でも「あった」と認定されており、教科書にも記載され、国際的にも事実として認定されていることですよね? 日本の歴史学者のなかに「南京事件はなかった」などと主張する人はいません(否定しているのはみな歴史学の専門家ではありません)。マスコミがそうした「事実」を前提として報道するのは当たり前でしょう。ホロコーストや進化論、アポロの月着陸についても否定する人々が存在しますが、マスコミが一々そうした否定論に配慮して報道したりするでしょうか?(もっとも、産経新聞は進化論を否定するインテリジェント・デザイン説に好意的な記事を何度か載せていますが)。 むしろこうした事柄について「議論の余地のある」とか「確証がない」と主張されるならそれ相応の根拠をお持ちのはずだと思うのですが。

1については旧日本軍の史料だけからも事件の存在は確実であることが分かる旨、指摘させていただきました。2についてですが、当時南京にいた第三国人や中国人生存者は国民党軍による放火と略奪があったことを証言しています。そしてそれらとは区別して日本軍による虐殺、強姦、略奪、放火があったことを証言しているのです。旧日本軍関係者の史料の一つをご紹介しましょう。靖国楷行文庫が所蔵していた「岡村寧次大将陣中感想録」には、当時第11軍司令官だった岡村寧次将軍が南京事件についての報告を受けたことが記されています(38年7月13日)。
====
中支戦場到着後先遣の宮崎参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、杭州機関長萩原中佐等より聴取する所に依れは従来派遣軍第一線は給養困難を名として俘虜の多くは之を殺すの悪弊あり、南京攻略戦に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪、強姦多数なりしは事実なるか如し。
====
どのような調査方法を用いたのかが明記されていないので「四、五万」という数字の解釈は問題になりますが、「大殺戮」として認識されていることがわかります。

>3.「被害者の感情を逆なでする」ので、"大"虐殺があったかどうかの歴史的検証をしない、というのはおかしい。

「歴史的検証」はこれまで何度も行なわれていますし、これからも続けられていくでしょう。しかし問題なのは、「中国側が10万人だ100万人だとどんどん犠牲者の数が不自然に増える」などと根拠不明の主張をして「大虐殺」を否定しようとする人々がいることです。これではとても「歴史的検証」とはいえませんよね?

もう一つ。あなたは他のさまざまな出来事に対しても南京事件と同じ態度を貫いておられるのでしょうか? 東京大空襲やシベリア抑留の犠牲者数についてあなたはどれくらい「あった」とする根拠をご存知なのでしょうか? シベリア抑留の場合、ソ連側の公式な主張と日本側の主張とでは犠牲者数推定に大きな開きがあります。東京大空襲についても、遺体が川に流れてしまったなどの理由で厳密には「生死不明」である犠牲者が約2万人ほどいるとされています。その意味でこれらも更なる「歴史的検証」を必要とする出来事なのですが、あなたは東京大空襲やシベリア抑留の生存者の証言集会が報道されたとして、このエントリと同じようなことを書かれるのでしょうか?

仰せられることを否定するつもりはございませんが、今回のエントリでことの女子大生の安直な意見(もちろん記事になっている範囲でですが。)に嫌悪感をいだいているのですよ。
私の知識の範囲内で言いますと、南京事件はあったと思いますし大勢の人が殺されたと思います。
ただそれが戦時における一般常識程度であったのかそれ以上であったのかについては、例えば国際法に照らして考えたり、様々な状況が絡み合い一律的な答えはでていないのではないでしょうか。
その点に関して議論の余地があると言うまでです。

私的には「中国が言うほどの残虐な殺戮はなかった」と思います。
まあ新たな情報を得た時には変わるとは思います。

ただ、今回の女子大生のように、被害者かわいそうで思考停止に陥っていることが問題だと思うのですかね。
被害者に共感することと、歴史的検証は別次元です。
事件があった、なかった等の意見に対してこの女子大生が言及しなかったのであれば、今回のニュースに関して別段記事にするほどの事とはおもいません。

従って、他の事件の被害者の証言集会があったとしても、この女子大生のような発言がなければ、敢えて言うほどの知識も意見もございません。

お返事ありがとうございます。

>ただそれが戦時における一般常識程度であったのかそれ以上であったのかについては、例えば国際法に照らして考えたり、様々な状況が絡み合い一律的な答えはでていないのではないでしょうか。

どんなことにも異論を唱える人はいるんですね。例えば「アポロは月に行っていない」と主張する人もいます。進化論を否定する人もいます。だからといってこうした問題に関して「一律的な答えは出ていない」と考える必要があるでしょうか? はっきり申し上げますが、「南京大虐殺はなかった」とか「南京事件は中国のプロパガンダ」などと主張している人びとの中に、歴史学の専門家は一人もいません。

>私的には「中国が言うほどの残虐な殺戮はなかった」と思います。

「中国が言うほどの規模の殺戮はなかった」という主張はよく目にするのですが、このご意見は斬新ですね。どのような根拠でそうお考えなのか、ご教示いただけると幸いです。

>被害者に共感することと、歴史的検証は別次元です。

ええ、それはその通りですね。しかし逆に言えば「歴史的検証と、被害者に共感することとは別次元」とも言えるわけです。あなたもお認めになったように、何らかの形で何らかの規模の犠牲者が出たことは何人も否定できない事実であり、しかも日中戦争はすべて中国の領土内で行なわれたわけです。私が言いたいのは、「歴史的検証」を目指すにしてもこうした事情に配慮する必要があるだろうこと、そうでなければ「歴史的検証」を行なおうとすること自体が歴史修正主義であると(中国のみならず)国際社会から判断されるだろう、ということです。

んんん。
なんか話がずれてきたような気がするのですが。。。

私自身は事件の歴史的検証に大してして興味を持っていないので、それらの意見に対して、どちらが正しいとか、何も言うことはございません。

しかし、反対意見については、「南京事件がなかったのなら、なかったことを証明してみよ」と同じく、「反対意見が存在するのなら、それは真実ではない」の証明を推測される程度の異論だとは思っていますけどね。

それはともかくとして、今回のエントリで「『大虐殺はうそ』という意見があること」が「被害者を傷つける」から問題だという女子大生、あるいは毎日新聞の短絡的思考、記事はちょっと気持ちが悪いと思います。

>「歴史的検証」を行なおうとすること自体が歴史修正主義であると(中国のみならず)国際社会から判断されるだろう、ということです。

そうですかね。
プロパガンダと研究はまったく違いますし。
本来の歴史的検証は、調べていったら結果的に"肯定だった"あるいは"否定だった"だけだと思いますが。

そうであれば「歴史的検証」すなわち歴史修正主義はありえないですね。

肯定側にしろ、否定側にしろ、客観的純粋な研究以外は口を挟むなと思っています。

中国とかは政治的に利用しようとしてるにおいがプンプンしてきな臭いですが。

先に結論があって、それに沿うような「歴史的検証」はしないほうがよいと思います。

偏見のない純粋な研究を進めてほしいものですね。

>私自身は事件の歴史的検証に大してして興味を持っていないので、それらの意見に対して、どちらが正しいとか、何も言うことはございません。

そうですか。そうすると例えば「地下鉄サリンテロ事件は嘘、という発言は被害者を傷つける」とか「リベリア抑留は嘘、という発言は被害者を傷つける」とか「水俣病は嘘、という発言は被害者を傷つける」等々の発言が仮にあったとすると、これらに対してもあなたは同じように「気持ちが悪い」とお考えになるのでしょうか? それならば首尾一貫していますから理解出来るのですが。

>これらに対してもあなたは同じように「気持ちが悪い」とお考えになるのでしょうか? それならば首尾一貫していますから理解出来るのですが。

当然同じ様に感じますが・・・。
どの例に対しであっても、
「〜が嘘という意見」と「被害者が傷つく」がなぜ繋がるのか理解できません。

「〜が嘘という意見」がおかしいと思うなら、異議を唱えればよいですし。
こちらは客観的に筋道を立てて考えるものですよね、つまり、研究とか検証作業です。

「被害者が傷つく」と考えた人は、当人がそれをしなければよいのです。
こちらは感情、あるいは共感ですよね。

中途半端に個人的感情と、研究(検証)を混ぜて話をするな。と思った次第です。

>どの例に対しであっても、
>「〜が嘘という意見」と「被害者が傷つく」がなぜ繋がるのか理解できません。

なるほど。ロシア人が「シベリア抑留についての日本側の主張はプロパガンダ」と言ってもオウム真理教の信者が「地下鉄サリンテロは公安のでっちあげ」と主張しても、北朝鮮国民が「言われているほどの拉致は無かった」と言ったとしても、彼らにはそう主張する権利があり、それを「被害者感情を傷つける」といって批判することはまかりならん、ということですね? ならばけっこうです。

>なるほど。ロシア人が「シベリア抑留についての日本側の主張はプロパガンダ」と言ってもオウム真理教の信者が「地下鉄サリンテロは公安のでっちあげ」と主張しても、北朝鮮国民が「言われているほどの拉致は無かった」と言ったとしても、彼らにはそう主張する権利があり、それを「被害者感情を傷つける」といって批判することはまかりならん、ということですね? ならばけっこうです。

挙げておられる例が、ちょっと微妙だと思いますが。。。。というのも、挙げておられる例は反対意見を言っているのが当事者なので。。。

たとえば、Aさんが痴漢の罪状で逮捕されたとしましょう、被害者はBさんです。

その話を聞いたCさんが「Aさんが無罪というのは、被害をうけたBさんをさらに傷つけることになる」→だから「Aさんが無罪だという意見はだめだ」と、言ったとします。
現状がこの時点(Z)です。

その後、
1,Aさんが犯人だった場合
2,真犯人Xが見つかった場合
3,被害者Bさんの「痴漢に遭った」が嘘であった場合

また、2,3,の場合にCさんの発言で、Aさんの真実の証明が遅れた場合のCさんに責任はないのでしょうか。

被害を受けたBさんに同情し、犯人を憎むのは当然です。
しかし、それとAさんが犯人かどうかの判断はCさんはすべきではありません、それは警察や司法の仕事です。

第三者の立場でありながら、安易に自分の考えで、(司法)判断と、感情をごっちゃにすべきでないと思います。

特に
「ないこと」の証明が悪魔の証明なら
「批判されないこと」が「あること」の悪魔の証明ですね。
(ちなみに悪魔の証明の原意は後者です、いつの間にか前者にとってかわりましたよね。)

お互いに完全に証明できないのですから、特に今回のような第3者が、片方を完全に否定あるいは肯定する意見(かつ根拠が被害者が傷つくから)というのは何とも受け入れがたいものがあります。

>というのも、挙げておられる例は反対意見を言っているのが当事者なので。。。

南京事件を日本人が否定しているのと変わらないケースだと思いますが? 今の日本人が「当事者」でないというのなら、今のロシア人もそうでしょう。オウム真理教や北朝鮮の場合も実行犯や計画した人間はごく一部です。

>現状がこの時点(Z)です。

私は違うと思いますね。その例えを使うなら「既に有罪判決が下った」という段階でしょう。

>また、2,3,の場合にCさんの発言で、Aさんの真実の証明が遅れた場合のCさんに責任はないのでしょうか

Cさんの発言によって「Aさんの真実の証明が遅れ」る、という状況が想像しにくいのですが…。
そしてAさんの無実を証明するためだからといって被害者を「嘘つき」呼ばわりしてよいかどうかというのは問題でしょう。「嘘つき」というからには単にAさんが無実であることだけでなく、Bが意図して虚偽を述べたことの証明が必要になります。

>南京事件を日本人が否定しているのと変わらないケースだと思いますが? 今の日本人が「当事者」でないというのなら、今のロシア人もそうでしょう。オウム真理教や北朝鮮の場合も実行犯や計画した人間はごく一部です。

先のコメントで”オウム真理教の信者が「地下鉄サリンテロは公安のでっちあげ」”
と言っておられたのですが、信者は関係者ではないのでしょうか?

南京事件において今の日本人が関係者だとお考えなのでしょうか。

それでは、中国には元寇の謝罪もしてもらわなければなりませんね。

>そしてAさんの無実を証明するためだからといって被害者を「嘘つき」呼ばわりしてよいかどうかというのは問題でしょう。「嘘つき」というからには単にAさんが無実であることだけでなく、Bが意図して虚偽を述べたことの証明が必要になります。

「嘘吐き」呼ばわりしてよいては思っていませんし、書いてもいません。
また中国から来た被害者が「嘘つきだ」とも書いてもございません。

また、もともとこのエントリの女子大生に言いたかったことなのですが、

Aさんの無実を証明するためだからといって被害者Bさんを「嘘つき」呼ばわりしはいけないのと同様に、Aさんを「加害者呼ばわりするのも問題だと思いますよ。

>信者は関係者ではないのでしょうか?

信者のすべてがテロ計画を知り、関わっていたわけではないでしょう?
それから、「ロシア人が…」の例についてはどうなのですか?

>南京事件において今の日本人が関係者だとお考えなのでしょうか。
>それでは、中国には元寇の謝罪もしてもらわなければなりませんね。

第一に、「南京事件」そのものではなく「南京事件否定論」に関してはいまの日本人は「関係者」です。いまの中国に「元寇否定論者」がいるでしょうか?
第二に、「個人のライフスパンを越えて存続する国家の有権者」としての日本人は、南京事件の「関係者」でしょう。この意味での「関係者」には程度の差があります。サリンテロ当時のオウム真理教の信者が「関係者」であった度合いに比べればいまの日本人が南京事件の「関係者」である度合いは低いでしょうが、現在の中国人が「元寇」の関係者である度合いよりははるかに高い。時を遡って「関係者」度が低くなっていくといずれ実質的に「無関係」になります。その目安は「もし○○がなかったら現在どうなっていたか」を想像することに意味があるかどうか、政権の連続性などだと思ってます。

>Aさんを「加害者呼ばわりするのも問題だと思いますよ。

別に特定個人を「加害者」呼ばわりはしていませんよね? 少なくとも旧日本軍のなかに「加害者」がいたことは確実ですが。

>それから、「ロシア人が…」の例についてはどうなのですか?

私は現在ロシアがどう言っているのか存じ上げませんので、言ったとの想定のもとでお話しすると、

それが、一般市民の発言だと、「関係者ではない」。
政府の発言だと「関係者」ですね。
特に異存はないかとおもいますが。

歴史は人の見方や環境、立場によって様々な様相を見せるものです。

政治上の発言か、学問上の発言か、個人の発言か。
それを一緒に論じては結論のでるものも出なくなります。

「南京事件があったかなかったか」は学問上の問題です。ここに個人の私情をはさんではいけません。
また、新たな資料などが出てきた場合、前の説が覆ることもよくありますよね。

真実を求めている限りそれは当然のことでしょう。

中国のように、感情を考えると、犠牲者の数が増えるなんてもってのほかです。

そして、学問上ある程度まとまった結論が出た時点で、政府の方針と発言が行われます。
これには付随して、保障であったり、今後の歩みを決定しますので、学問上でた結論をもとに、長い目でみて現実的な選択を取らなければなりません、従って、ある程度中間的、日和見的な結論になるのは仕方のないことだと思います。

外務省の南京事件に対する見解もここに相当しますね。

また、第一義的に自国のことを考え最終的に良い選択をしなければならないので、他の国の政府と見解を異にすることがあっても仕方のないこともありますね。

そして、一般市民は上記に点を踏まえて、どうその事柄に接していくのかは自由と言えます。
したがって、賛成、反対、共感、それは個人の自由です。
すべて「内心の自由」ですね。

それぞれの立場を見失うと、今回の女子高生のように安直な発言をしてしまうのです。

>別に特定個人を「加害者」呼ばわりはしていませんよね? 少なくとも旧日本軍のなかに「加害者」がいたことは確実ですが。

中国や韓国のように、最近の日本人に対して、今頃先の戦争の恨みをはらそうとする人が増えないことを祈るばかりです。

歴史全般に言えることですが、あったなかったの論争や、「〜はかわいそう」というただの憐れみや、過去の清算に固執する暇があったら、未来にどうつなげていけるか考えたほうが良いのではないかと思います。

中国、韓国は、日本に対して過去の清算要求→金銭、技術を要求して、ある意味自国の未来を見据えているのですかね。

ただ、以前はうまくいっても、今後そのまま続けていてもこの先うまくいくとは到底思えませんが。

世論調査でも、日本人の、中韓に対する高感度はどんどん下がってきていますしね。

従来派遣軍第一線は給養困難を名として俘虜の多くは之を殺すの悪弊あり、南京攻略戦に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪、強姦多数なりしは事実なるか如し。
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捕虜のうちの多くを殺してると報告された。軍規の乱れはけしからん。そんなことじゃあ、四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪、強姦多数という(日本軍が行ったという、中国側による流言)が、事実のように見えてしまうじゃないか。
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こう補間して読んだほうが説得力がある(笑)
少なくとも日記著者は「事実と認定したのは、報告を受けた前者だけ、後者はうわさであり、事実と認定してないことが前提」の文章なんですよね。
Apeman氏はそれを誤魔化して、

>「大殺戮」として認識されていることがわかります。

と言ってる。

「事実のように見えてしまうじゃないか」

は誤訳っぽいようです。

「事実のように思われる」

のほうが正しそうです。
いずれにせよ、確実に「あったと」認定しているのは捕虜殺害について「直接報告されたもの」のみであり、他は違います。語尾を「あり」「如し」「云ふ」と使い分けていることからそう読み取るべきでしょう。4,5万人も伝聞に対する感想に含まれます。

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Author:OUTIS
Οὖτισ ἐμοί γ᾿ ὄνομα· Οὖτιν δέ με κικλήσκουσι
μήτηρ ἠδὲ πατὴρ ἠδ᾿ ἄλλοι πάντεσ ἑταῖροι.
Od, 9.366-367.

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